残業時間帯に設定される悪習会議

雑記

あるネット広告のベンチャー企業での話です。この企業では、大抵の会議が20時以降に開催されていました。勤務時間は10時から17時が前提ですから、考えてみればおかしい会議設定です。しかし、会議の前に仕事が終わった社員は会議を待って夕食を食べたり、雑誌を読んだりして時間をつぶす無意味な慣習が定着していました。

悪習でもあり、おそらく違法労働であろう。残業時間帯にあたる給与は通常の給与の1.25倍にあたる。その時間帯に夕食や雑誌を読んでたりするのであれば、無駄であり削減すべきコストである。採用労働制であっても、残業という時間外労働は適応される。

こういった悪習がある会社は、まず正規の残業代は出していないだろう。

「時間=コスト」という概念がなくなっている会社の典型である。経営者がそれを良しとするから、こういった悪習ができるのである。そういった組織は今後は生き残っていけないと考えている。

本当に生産性の高い労働者は、その悪習の行為が信じられないだろうし、バカらしくなって働いていけないだろう。やがて、ほかの組織に移るのである。

残るのは悪習を前提にしている人たちだ。たしかに悪習からも、なにかが生まれる“かも”しれない。

だが、ほとんどがさらなる無駄を生むのであろう。そういった“かも”“もしかして”に依存する経営者が生き残っていくことは、“もしかして”あるの“かも”しれない。

一方、生産性の高い人たちは、生産性の高い組織が居心地がよいだろうし、そういった組織にあつまるだろう。そして、生産性の高い結果を出すだろう。

家庭や個人的な事情から悪習のなかでは、働きたくても働けない人だっている。

経営者の視点から、どういった環境が理想か、どういった組織が健全なのか。人が集まり魅力のある会社となるのか。考えればわかることだ。

悪習をつくりあげた時点で、経営を放棄したことになる。この悪習を前提としている経営者を僕は認めない。今すぐにでも前提を改めて、改善する行動を起こすべきだ。その行動すら起こせない組織が残業をしたとしても結果はたかが知れている。

経営者が理想とする環境や結果を追い続けていれば、常に変化がおこるだろうし、長期に在籍している社員の習慣が悪習となるはずがない。高い生産性を維持して結果を出すためにどうするのかを考え、実施している社風をつくっていくはずだ。

一時的に残業することにより大きな成果を出すことだってある。だからといって、時間外労働を慣例的に容認して習慣(悪習)とすることは、組織をつくっていくマネジメントの視点から見れば大きなマイナスであり、生産性という概念を持っていない結果である。

習慣を変えることは難しいということはいうまでもない。だからこそ今すぐにでも取り組み、変えていくべき大きな問題なのである。容認なんてできない事実が目の前であたりまえに起きている危機なのである。

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