知識と経験がある人の「言わなくても良い一言」について考える

Ruby

RubyKaigi 2025のLTでの話について、モヤモヤが残っているので、ひとりの参加者として感じたことを記録しておきたいと思う。

上記のサイトにあるように、RubyKaigi 2025のLTでの1コマの話である。

何が起きたのか覚えている限りで書くが、人の記憶なので、詳細は間違っているかもしれないし、感じ方は人によって違うことを踏まえておいて欲しい。

また、この記事は特定の誰かを批判するために書いているのではない。

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何が起きたのか?

LTでは最初にtkskkd氏が銅鑼を叩く係として壇上に登場し、LTの25年前にLTが埋まれた歴史について少し話をした。以下がその記事である。

この時点で、tkskkd氏は年長者であり、これまで多くのLTを見てきた方なのだろうと想像された。

つまり、知識と経験がある人であると憶測するのが大多数であるのではないだろうか。

そのまま、LTが開始され、何個かLTが実施されていったのであった。

そんな中で何か問題があったのか?

そんな中、とあるLTが4分20秒ぐらいで、終了した。5分まで時間があるので、約40秒の時間を残して、終了したのだ。

この余った時間で、tkskkd氏がした小話が様々な捉え方をされている。

tkskkd氏の話

tkskkd氏の話は、

  • 銅鑼係なので、銅鑼が叩けないと淋しい
  • 熱量があるが故に話が5分以内に終らず、銅鑼が鳴る人もいる

「そういった人には、ぜひ、この後の飲み会や翌日に声をかけて、話をして欲しいし、話す方も、5分で話せなかったことを話してほしい」という内容であったと記憶している。

私は個人的に、この時点でtkskkd氏が「言わなくても良い一言を言ってしまった」と感じていた。

tkskkd氏の意図は推測ではあるが、

  • 5分で終らなくて、銅鑼がなっても熱意さえ伝わっていれば、話は面白いし、途中で終っても、あなたの話について、会話をする仲間が生れるはず
  • はずかしがるような失敗ではないし、そんなLTも面白い

ということなのだと解釈している。

タイミングがまずかった

だが、これを言うタイミングがまずかったと私は感じていた。

  • 40秒残した登壇者の後に、会場にいた1000人以上の前で壇上から語られた発言だったこと

このタイミングでこの発言をする必要があったとは、私は思えなかった。

なぜならば、5分以内で終った発表者は、自分のLTが5分に収まることがないほど情熱的で面白いLTができたのか?という疑念を発生させる可能性があるからだ。

さらに、日本語はハイコンテキストな文化と言語であることから、前の事象と今の発言が関係していると捉えられるべきなのが普通の言語である。

よって、この発言は、直前に5分以内に終った話よりも、情熱で5分で伝えきれなかったLTの方がおもしろいという、時系列として前に起きた事象と勝手に比較されるような発言とも取られてしまう可能性がある。

この発言の結果

  • 5分以内で発表を終えた登壇者に対して「おもしろかったのか?情熱はあったのか?」という問い生む可能性がある
  • 「文化的しきたりを守っていないことについてのお叱り」と感じる人がいた

タイミングが違えば

※(外野が後から、たられば、ばかりで申しわけないがモヤモヤしているのがここ)

5分を越えてしまって、最後まで話すことができなかった登壇者がいたとする。

このあとに、この話をしたら、すごく良い小話になったのではないだろうか?

登壇者が失敗したと思っていたら、少しは良い気持ちになったのではないだろうか?

周りも暖い気持ちで、そのLTについて、話に触れることができたのではないだろうか?

これは、知識と経験がある者ができる事なのではないだろうか?と考える。

シニアの苦悩

知識と経験がある者と書いてはいるが、シニアエンジニアは大体こういった状況に居る人が多いと思う。

この「言わなくても良い一言」というのは、ある程度の経験や歴史を踏まえた人であれば、やってしまうことがある。たぶん、自分もやっている事がある。他人事とは思えないのである。

年長者や経験があるという人の発言は、軽い気持ちで不用意にすると「余計な一言」として、自分の意図とは違う解釈や悪い捉えかたをされてしまうことがある。

これを老害と言いつつも、コミュニケーションしてくれる若者はまだ良い方である。誤解したまま離れたり、萎縮してしまう若者や初心者も居るのである。

自分が気をつけていること

こういう時に気をつけているのは I message だけを伝えること。

自分がtkskkd氏だったら、

  • 銅鑼鳴らしたかったんですよ!という自分の話をする
  • 4分30秒ぐらいから銅鑼を鳴らすために、準備運動しはじめたりする銅鑼芸など自分の役割の話をする

といった、銅鑼係として自分の(I message)について語る。

きっと「銅鑼を鳴らすような情熱の溢れすぎた、めちゃくちゃなLTもおもしろいのがある」という話こそ、パーティーや飲み会の席で語るだろう。

つまり、壇上では他人にどうして欲しい事(You message)については語らない。

もちろん、2人や少人数で話をしていて、「では、もっと面白いLTは?」や「5分におさまらないけど、どうしたら?」といった質問があれば、tkskkd氏と似たような回答をするだろう。求められて、受入る準備をしてもらってから、You messageを話すようにしている。

LTとしては?

LTは様々な人が気軽に参加して欲しいのであるのだから、参加したら「情熱はあるのか?」「おもしろいのか?」という評価を考えさせしまうような発言は壇上ではやめた方が無難ではあるだろう。

一方でLTの外で、LTがおもしろかった事を登壇者に自分の気持ちを伝えにいくことは良い事だろう。また、内容について、質問や話にいくだけでも良い事であると考える。

「LT見ました。お疲れさまでした!」の一言だけでも、はじめてLTをした人にとっては嬉しいものであるのではないだろうか。

歴史を語る者は歴史の変貌も捉えるべきではないのか?

歴史の原点を語る人も必要だが、変貌を捉えて、現代ではどうなっているのか?といったことについても語り、理解されなければ十分とは言えないのではないだろうか?と、今回の件を考えると感じる。

RubyKaigi自体も変化しているし、LTも変化して、様々な意図や形が現在は存在している。

単に過去の話を語るだけでは不十分で、変化を捉え、今の価値観に照らして語られてこそ意味があるのではないだろうか?

ただ、今を生きる人が、今を一生懸命にやっているのであれば、それこそ認め、行動を褒め称え賞賛に値するのであると考える。

まとめ

  • 経験と知識のある人は、影響力を踏まえて発言を考えてする必要がある
  • 求められれば、人を育てるアドバイスをすれば良い
  • お節介で、ついでと思って短時間で話すと、十分に伝わりもせず、ケアもできないため、自分の意図とは違う形で一人歩きしたりする

実名で、インターネットで強い意見を表明すると、良い事は無い時代になりつつあると感じる日々である。

本屋コーナーで話題になって、気になっていた、これでも読んでみようかな。

誰かを責めるためではなく、あの日感じた小さな違和感を丁寧に言葉にしてみました。同じ場を共有した人に、少しでも届けばと思います。

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